礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.9.6 主日礼拝 ヨハネ福音書講解(54)「振り向く、恵み」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 20章1~18節】(新共同訳 新約P.209~210)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネの黙示録 3章19~20節 司式者
祈祷 司式者
賛美 教会福音讃美歌359番「私の望みは主イェスにだけある」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」
聖書 ヨハネによる福音書 20章1~18節
宣教 ヨハネ福音書講解(54)「振り向く、恵み」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 「見よ、暗き夜は明け」
頌栄 新生33番「輝け主の栄光」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 主イエスが復活された早朝の出来事をヨハネは二つ記します。まず、マグダラのマリアが日の昇る前、主の葬られた墓へ行き、石が取りのけてあるのに驚き、弟子たちが潜んでいた家へ駆けつけこう告げました。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのかわたしたちには分かりません」。それを聞いたペトロともう一人の弟子(使徒ヨハネ自身)が一緒に飛び出し、空となった墓に入った事の詳細を記します。主イエスが以前に、死者の中から復活されると告げていた(ヨハ2:19-22)にも関わらず、ペトロもヨハネ自身もこの時は未だ理解し(信じ)ていなかったと自らを振り返り、告白しました。ヨハネは自分の名を記さず、「もう一人の弟子」と三人称で表記します。これは、彼自身に焦点を当てるのでなく、読者がヨハネのように真実を目撃した証人とされ、同じ弱さを持つ者だと気づいて欲しいとの願いがあったからだと推測されます。そうです、私たちもこの二人のように、主イエスの言葉を聞き触れても理解し得ないことが多くある者であることを隠すことなく、信仰の不確かさを認めて歩む時、主イエスが出会ってくださる恵みをヨハネは分かち合いたかったのです。
もう一つ、復活の日の早朝、ヨハネは更にマグダラのマリアにスポットを当てました。二人の弟子が家に帰った後、再び戻って来たマリア。主イエスの遺体が行方不明となった空っぽの墓を呆然と見つめて嘆き、涙を流し続けます。そこに二人の天使が現われ、婦人よ、泣く必要がないのにどうして泣くのかと問いかけました。しかし天使の語りかけにもマリアはかつて主イエスが復活を予告した言葉を思い出せず、「わたしの主が取り去られました…」と、目の前に残された主の遺体を包んでいた亜麻布をただ呆然と眺め、嘆き悲しんだのです。目前に神の使いがいたのにです。更に後ろを振り向いたマリアの眼前に主イエスが立っていたにも関わらず、それにも気づかず、主が語りかけても園丁だと思い込んでいました。
そこで遂に主イエスは「マリア」と呼びかけます。すると彼女は振り向いて《ギリシア語ストレポー:悔い改めて・心を入れ替えての意も含む》、「ラボニ: アラム語“先生”」と応えていました。ここでヨハネはマリアが主が復活の予告をされていたのに、彼女の理解を越えた真理を受け入れなかった姿と共に、主がそのマリアにご自身を現わされ、名前を呼び、彼女の心を新たにされた主の愛の姿を記します。ここには墓に入って確かめる前のペトロとヨハネと同じように、不完全な信仰〈不信仰〉に留まることなく、復活の奥儀を信じる者となるように主が関わり導かれたこと。更にその後に、疑い深い弟子のトマス、弟子を辞めようとしたペトロを含め3名に現れてくださった(20:24-21:19)、主イエスの徹底した愛をヨハネは証言しました。
『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と、他の弟子達に伝えよと主は昇天される次なる神の計画をマリアに語りかけ、これからは信じる者とされ歩む願いを託します。後に主がトマスに語った「信じない者ではなく、信じる者になりなさい(20:27)」との語りかけは、きっとマリアにも深く響いたことでしょう。
主はマグダラのマリアが彼女の過去の出来事をただ振り返り、悔いて終わることを願われませんでした。過去を振り返ったその先に、共に寄り添い立っておられる復活の主イエスに目を向け、新たに歩み出すことをマリアだけではなく、すべての者にも備えられています。
主よ、自らの経験や理解を越えた神の真理と驚くべき福音の豊かさへ目を向け、「神にできなことは何一つない(ルカ1:37)」と、母マリアに語りかけた天使の言葉にハッと振り向き、信じる者としてください。